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【ちゅうごく】じんざいのるいけいかからみるにっけいきぎょうのげんちかもんだい(さーちな・ちゅうごくじょうほうきょく)

【中国】人材の類型化からみる日系企業の現地化問題(サーチナ・中国情報局

22日(水)10時54分



にっけいきぎょうのちゅうごくにおけるじんざいマネジメント(2)ひくたうらりか(NRI)

 こんかいは、げんちかをすすめるにあたり「にっけいきぎょう」であることをどうかんがえるべきか、しけんをのべてみたい。

 そもそもげんちかとはなにであろうか。

Aしゃ:「とうしゃはぶちょう・してんちょうクラスはほとんどちゅうごくじんですよ」
Bしゃ:「いやー、おんしゃはげんちかがすすんでいますね!」

 このようなかいわをみみにするたびに、あたかもけいえいかんぶやかんりしょくのポストにちゅうごくじんをとうようすることが「げんちか」であるかのようないんしょうをうける。じぎょうけいかくで「げんちかすいしん」がぜんめんにうちだされているのをみるにつけ、「げんちか」じたいがもくてきとかしてしまっているようにかんじる。しかしほんらい「げんちか」とは、そのきぎょうのけいえいりねんにもとづき、グローバルじぎょうのいっきょくをになうちゅうごくにおいてしゅうえきこうじょうをじつげんするけいえいたいせいをきずくためのプロセスまたはしゅだんのひとつとしてとらえるべきであろう。

 ときどき、「わたしたちはちゅうごくのきぎょうとしてけいえいしていくほうしんです」とかたるにっけいきぎょうのけいえいしゃをみかける。ちゅうごくじんしゃいんをしゅたいに、ちゅうごくのほうりつ・ほうきをじゅんしゅし、のうぜいぎむをはたし、ちゅうごくのしょうひしゃにあいされるよききぎょうしみんとしてじぎょううんえいしていくといういみならば、いずれのきぎょうもおなじかんがえであろう。

 しかしちゅうごくのじばきぎょうとおなじどひょうでたたかう、かんぜんな「ちゅうごくきぎょう」といういみならば、かなりむりがある。にっぽんのぎじゅつやノウハウをきそに、にっぽんのほんしゃとれんけいをとりながら、にっぽんじんちゅうざいいんのしどうによってけいえいされているきぎょうが、かんぜんな「ちゅうごくきぎょう」になるのはふかのうである。 

 それでは「にっけいきぎょう」であることをぜんめんにおしだしたけいえいをすればよいかというと、これもまたじょうしゅびにはいくまい。おうべいとはことなり、ちゅうごくにおける「にっぽん」というくにのイメージは、れきしてきけいいもあってけっしてよくはない。じっさい、きぎょうがなんらかのしさくをうちだそうとするとき、しゃいんから「にっぽんのやりかたをおしつけるつもりか?」というこえがあがることがしばしばある。

 わたしは、「Aしゃ」「Bしゃ」というきぎょうブランドをぜんめんにおしだしたがいしきぎょうとしてけいえいしていくのがだとうではないかとおもう。がいしきぎょうであることはげんぜんたるじじつであり、しゅうぎょうしゃもそれをしょうちでにゅうしゃしてくる。(にっけいきぎょうとしてではなく)ひとつのがいしきぎょうとして、じしゃのりねんやほうしんを、じしんをもってどうどうとうちだしたけいえいをおこなうべきであろう。

 さて、がいしきぎょうがひつようとするのは、どのようなじんざいだろうか。だいいちに、じしゃのけいえいりねんやかちかんにきょうめいするじんざい、なじみそうなじんざいである。ことなるくにのぶんかにまたがってけいえいするならば、なおさら、きぎょうぶんかをそしきのちゅうたいとしてきょうゆうするひつようせいはたかくなる。

 だいには、いうまでもなく、じしゃのじぎょうをせいちょうさせるためにひつようなのうりょくやけいけん、ししつをもつじんざいである。じしゃにひつようなじんざいスペックをめいかくにして、それにがっちするじんざいをひょうか・とうようし、がっちしないじんざいはとうたしていくべきであろう。そしてだいさんにわたしがかんがえるのが、がいしきぎょうではたらくにふさわしい、いぶんかへのこだわりのないじんざいである。

 「にっけいきぎょうとしてではなくがいしきぎょうとして」とのべてきたものの、にっけいきぎょうであることもひていできないじじつである。これまでわたしがせっしてきたにっけいきぎょうではたらくちゅうごくじんじゅうぎょういんを、にっぽんにたいするしせいにより、おもいきってつぎのようにるいけいかしてみた。

【にっぽんにたいするしせいべつのちゅうごくじんじゅうぎょういんタイプ】(がぞうをクリックしてください)
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A:しんにちは・・・もともとにっぽんやにっぽんぶんかにたいしてコウイやあいちゃくをもっている、にっぽんにちょうきかんたいざいしたけいけんがある、ひとしのばあいがおおい。
B:あいぞうしょうなかばは・・・にっけいきぎょうでのきんむねんすうがながいため、にっぽんへのあいちゃくがないとはいえない。はんめん、にっけいきぎょうでつとめるなかで、くろうやいやなおもいをけいけんしてきており、にっぽんやにっけいきぎょうへのはんかんもあわせもっている。
C:むとうは・・・じゅうらい、にっぽんとのかかわりはなかったが、たかいきゅうよやポストをていじされて、あるいはかいしゃのしょうらいせいにひかれて、とりあえずにっけいきぎょうではたらいている。

 これまでにっけいきぎょうではたらくちゅうごくじんには、「A:しんにちは」および「B:あいぞうしょうなかばは」がおおかったのではないだろうか。こんごは、にちちゅうのかけはしとしてきちょうなそんざいである「A:しんにちは」はたいせつにしながらも、「C:むとうは」でユウシュウなじんざいをせっきょくてきにさいようしていくべきであろう。

 おおくのがいしきぎょうは、せかいでゆうすうのけいざいたいこくとなったちゅうごくでのじぎょうにちゅうりょくせざるをえない。がいしきぎょうにはかんぜんにちゅうごくをりかいすることはむずかしいだろう。しかしぶんかのちがいをなくすことができないいじょう、ちがいにこだわってばかりいてもぜんしんしない。そのきぎょうがグローバルにてんかいするけいえいしゅほうを、あるていどはげんちかしつつ、あるていどはそのままうけいれてもらうひつようがある。そのさいにしゃいんにもとめるのは、「ちゅうごくのやりかた」「にっぽんのやりかた」というナショナリズムのしこうではなく、きょうつうのじぎょうもくひょうのたっせいにむかってなにをすべきかをかんがえるプラグマティズムのしこうである。

 なお「B:あいぞうしょうなかばは」にたいして、わたしはひていてきにかんがえている。たしかににっけいきぎょうのとくちょうをよくしり、にっぽんじんちゅうざいいんとおりあいをつけていきていくすべをみにつけており、いっけんするとにっけいきぎょうにはちょうほうなじんざいである。しかしかげでは「ちゅうごくにはちゅうごくのやりかたがある」「ちゅうごくのことはにっぽんじんにわかるわけがない」とうのふまんやひはん、ぐちをこぼしているケースがひじょうにおおい。それではけんせつてきなていあんをしてかいしゃのへんかくにこうけんするかというと、じゅうらい、せきにんやけんげんをあたえられてこなかったので、そこまでのしこうりょくやしやのひろさをもちあわせていない。

 またにっけいきぎょうをやめてじばきぎょうやおうべいきぎょうにてんしょくするかというと、そうするわけでもない。にほんごのうりょくやにっけいきぎょうでのぎょうむけいけんがじぶんのキャリアでのぶきとなってしまったいじょう、にっけいきぎょうのしゃかいでいきていくしかないのである。

 このようなじんざいがけいせいされたげんいんは、かこ、にっぽんじんちゅうざいいんがこうあつてきでいっぽうつうこうのマネジメントをおこなってきたことにある。そのてんで、かれらはひがいしゃといえなくもない。しかし、にっけいきぎょうのなかにありながら、ぶんかのちがいにこだわって、うしろむきのひはんしゃでありつづけるじんざいは、そしきがきゅうしんりょくをたかめながらせいちょうしていくうえでそがいよういんとなりかねない。よほどたくえつしたのうりょくをもっているのでないかぎり、こんごはせっきょくてきにかかえこまないほうがよいとかんじている。(しっぴつしゃ:のむらそうごうけんきゅうじょ・たうらりか)


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