「21さいのとき、わたしはじんせいをえいこくみんにささげようときめ、このねがいがかなうようかみにごかごをおねがいした」。1977ねん6つき7にち、エリザベスえいじょおうはそくい25ねんをいわうちゅうしょくかいでひんかくにわかきひのちかいをひろうした。こののち、ロンドンのギルドホールからバッキンガムきゅうでんまでこうしん。100まんにんがえんどうをうめ、えいれんぽうの5おくにんがテレビにみいった。
そのころ、テムズがわでははんさかごたちのけいかくがすすんでいた。そのはんぎゃくじたちこそ、きりさいたふくをアンゼンピンでつなぐかげきファッションのはっしんもとのブティック「セックス」のじょうれんきゃくがけっせいしたパンク・ロックバンド、「セックス・ピストルズ」である。
♪ゴッド・セイブ・ザ・クイーン(じょおうへいかまんさい) ファシストたいせい… イングランドのゆめにみらいはない みらいはない
えいこくかとどうめいのシングル「ゴッド・セイブ・ザ・クイーン」は、じょおうとえいたいせいをこうげきしているとうけとめられた。しゅくがムードとはうらはらに、ろうどうしゃかいきゅうのわかもののふまんはばくはつすんぜんだった。ほしゅしゅぎとかいきゅうせいど、べいソれいせんのおもくるしさをふきとばすように、どうきょくはこくないヒットチャートの1いにおどりでようとしていた。
だが、ほうそうきんしようごのれんぱつがわざわいして、おおてレコードかいしゃとのけいやくはつぎつぎとはきされ、ついにえいこくないでピストルズのおんがくはほうそうきんしとなった。「おんがくをひていするなんてナンセンスそのものだ。ピストルズはじだいのきぶんをだいべんしていた」と、ロンドンちゅうしんぶでロックかんれんグッズのみせをけいえいするハワード・コーエンさん(48)はふりかえる。
コーエンさんはピストルズがテムズがわにうかべたコンサートようボートでのんだくれていた。かいさいきょかをとっていたのにけいかんたいがきゅうしゅう、メンバーとマネジャーらをこうちしょにほうりこんだ。
マネジャーのでんわがとうちょうされるなど、ピストルズはとうきょくのかんしかにおかれ、どうきょくもチャートの1いになることはなかった。よく78ねん1つき、はつのぜんべいツアーちゅうに、ボーカルのジョニー・ロットンがだったい、くうちゅうぶんかいした。
あれからやく30ねん。ことし11つき19にちはじょおうのけっこん60ねんしきてんだ。いっぽう、ピストルズのさいけっせいコンサートも11つきにロンドンでひらかれた。40、50だいがめだつかいじょうで、コーエンさんは「やっぱりピストルズはさいこう」とかんげきし、にっぽんからやってきたはけんしゃいん、きくちたかこさん(42)も「しょうがっこう6ねんのとき、のめりこんだ。はんこうきをむかえていたわたしのきもちにピッタリだった」となつかしむ。
しょだいベースのグレン・マトロックは「むすこがくる。きたないことばはつかわないで」とメンバーにようぼうしたとほうじられたが、むしされたようだ。「50さいのわかものどもめ」。ジョニーがさけぶ。いかりやこんらん、ふまんをたたきつけることばがだいおんきょうにかきけされていく。
もうピストルズのきょくがほうそうきんしになることはないだろう。だいひょうきょくの「アナーキー・イン・ザ・UK」は、パンクせだいのおやこがたのしめるTVゲームにしゅうろくされている。ときはかくじつにながれた。(ロンドン きむらまさと)