ぺきんのじんみんだいかいどうで28にちおこなわれたふくだやすおしゅしょうとゆたかかほうちゅうごくしゅしょうのしゅのうかいだん。ちょくごのきょうどうきしゃかいけんで「たいわんどくりつ」にたいするひょうげんをめぐり、ふくだしゅしょうがかおいろをかえるひとまくがあった。「(どくりつを)しじしない」というふくだしゅしょうのはつげんをゆたかしゅしょうがせつめい。これをかいじょうでにほんごにやくしたつうやくが「どくりつはんたいをひょうめいした」とつよいひょうげんに「ごやく」したためだ。かいけんちゅうに、すぐしりょうをとりよせたふくだしゅしょうはみずからのはつげんが「しじしない」だったとあらためてせつめいするはめに。たいわんもんだいのびみょうさがあらためてうきぼりになったしゅんかんだった。(ぺきん さかいたかし)
びちゅうしゅのうによるはつのきょうどうきしゃかいけんはよていの20ふんかんを25ふんもオーバーするねつのはいったものになった。りょうこくゆうこうのたいせつさをうったえるゆたかしゅしょう。だが、それまでのおんわなえがおをひきしめ、たいわんもんだいをきりだした。そしてかいじょうにつうやくのにほんごがひびいた。
「ふくだしゅしょうはたいわんどくりつにはんたいするとのたちばをじゅんしゅ、げんしゅしていくことをひょうめいした」
そのこえに、ゆたかしゅしょうのみぎとなりにすわっていたふくだしゅしょうがこおりついた。ゆたかしゅしょうにきづかれないようにみぎてのひとさしゆびで、めのまえのきしゃせきにいたがいむしょうのやぶちゅうさんじゅうにがいむしんぎかんに「しりょうをよこして」とサイン。ふくだしゅしょうのてもとにしりょうがすべりこんだ。
ちゅうごくがわメディアのしつもんにいちとおりこたえたふくだしゅしょうは、さいごに「たいわんについても、わたしからにっぽんのたちばをもうす」ときりだした。うけとったしりょうにめをおとしながら、しんちょうに「2つのちゅうごくというたちばはとっていないし、たいわんのどくりつもしじしていない」とかたり、「どくりつはんたい」というひょうげんを「しじしない」にしゅうせいしてみせた。
たいわんどくりつへのにっぽんのしせいは「はんたい」なのか「しじしない」なのかひく。この2つはがいこうじょう、おおきなちがいがある。
「しんちゅうは」といわれるふくだしゅしょうだが、ことばのつかいわけにはこだわってみせた。しんにちかんじょうがひかくてきつよいたいわんとにっぽんはながくりょうこうなかんけいにあり、おうべいしょこくとはじじょうがちがう。にっぽんはしょうわ47ねんのにちちゅうきょうどうせいめいいらい、「たいわんがちゅうごくのりょうどのふかぶんのいちぶであるとのちゅうごくのたちばをじゅうぶんりかいし、そんちょうする」とひょうげんするにとどまり、「どくりつはんたい」のことばはしんちょうにさけてきたからだ。
しゅのうかいだんご、がいむしょうのさ々こうけんいちろうアジアたいようしゅうきょくちょうはきしゃだんに「『しじしない』と『はんたい』とはニュアンスがことなる。きょうどにちがいがあることはにっぽんじんならりかいできるだろう」とはなした。
たいわんのちんみず扁そうとうはらいねん3つきのそうとうせんとどうじに「たいわんのめいぎでのこくれんかめい」のぜひをとうじゅうみんとうひょうをけいかくしている。べいふつは「はんたい」のたちばをせんめいにしているが、ふくだしゅしょうは「はんたい」とはくちにしなかった。ただ、ちゅうごくがいむしょうのりゅうけんちょうほうどうかんはかいだんごのかいけんで「にっぽんがたいわんもんだいでおこなったたちばをひょうかする」とのべた。
「しつもんをうけたいじょうのことをもうしあげたかもしれないが…」。ふくだしゅしょうはかいけんのさいごにこうとおどけてみせたが、にっぽんのしゅしょうとしてさいていげんのラインはまもった。
【かんれんきじ】
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