■のうちうしない、たいきょしてとしへ!?
ちゅうごく・しせんだいじしんでは、はんしん・あわじだいしんさいの32ばい、げんばく252こぶんのすさまじいエネルギーが1ふんかんでほうしゅつされたという。このしょうげきで、ヒマラヤサンミャクがしたからつきあげられてりゅうきし、せかいいちたかいエベレストさん(チョモランマ)が「9メートルたかくなった」というすいていをたいわんし「れんごうほう」がほうじている。
ただ、このせつをはっぴょうしたとされるたいわん・ちゅうおうだいがくのおういぬいみつる・ちきゅうかがくがっかきょうじゅはほうどうをひていしており、じっさいにチョモランマのひょうこうがたかくなったかどうかはさだかではない。それだけぼうだいなりょうのエネルギーがほうしゅつされたということだろう。
こんかいのじしんについて、しりあいのちゅうごくじんがくしゃがきになることをおしえてくれた。
じつは、しんげんちとなったしせんしょうアバ・チベットぞくチャンぞくじちしゅうでは、こんかいのじしんはっせいまえに、「じしんがちかくおきる」というじょうほうがひろくるふしており、ひなんをかんがえていたじゅうみんもいたという。
しかし、どうじちしゅうたいしんぼうさいきょくはじしんはっせい3にちまえの5つき9にち、「じしんがはっせいするというじょうほうがるふしているが、われわれがちょうさしたけっか、そのじょうほうはデマだ。ぜったいにしんじないようにしてほしい」とのせいめいをはっぴょうしたというのだ。
じもとせいふが「じしんはない」とたいこばんをおすようなせいめいをだしたことで、「いちじはひなんをかんがえていたじゅうみんもおもいとどまり、ひがいがかくだいした」とこのがくしゃしはしゅちょうする。
いずれにせよ、「けっかろんだ」といえば、そういえなくもないが、どうじちしゅうせいふのたいおうにはぎもんがのこる。
こんごのもんだいは、しせんしょうだけでもやく500まんにのぼるというひさいみんへのたいおうだろう。ひさいしゃのおおくはのうみんだけに、しゅうにゅうもなく、こんごのせいかつのほしょうもとぼしい。
ちゅうごくではげんざい、のうちをなくしたしっちのうみんがやく5000まんにんもおり、まいとし200まんにんから300まんにんぞうかしているという。かれらはせいかつのかてがなく、としにでてでかせぎろうどうにじゅうじするしかいきるほうほうはのこされていないようだ。
そのようなでかせぎのうみん(のうみんこう)はげんざい、ちゅうごくぜんどに2おくにんおり、そのよびぐんであるのうそんのよじょうろうどうりょくは1おく5000まんにんにもたっしているとちゅうごくせいふははっぴょうしている。
こんかいのじしんでひさいしたみんしゅうがせいかつにこまって、のうみんこうとしてとしにでてくるようなことになれば、るろうのみんになり、なんみんかするなど、ちゅうごくのこんごのふあんていよういんになることはまちがいない。
そのようなことはえびすにしき濤こっかしゅせきやゆたかかほうしゅしょうはじゅうぶんわかっているだろう。そのため、げんちいりしじんとうしきをとっているにちがいないのだが、ちゅうごくどくじのたいさくにはげんかいがでてこよう。このため、にっぽんせいふはこんごもきゅうえんぶっしなどのしえんをしつづけるひつようがある。ちゅうごくにとって、もっともたすけがひつようなのは、いまからなのだとかんがえたい。(そうままさる)