【ソウル6にちれんごう】りあきひろ(イ・ミョンバク)だいとうりょうは6にちにこくりつあらわちゅういんでおこなわれただい53かいあらわちゅうびついとうしきにしゅっせきし、あいさつをつうじ「かんこくぐんほりょとリサンかぞくもんだい、らっちひがいしゃもんだいはまだかいけつしていない」とし、きたちょうせんにたいしじんどうしゅぎてきじげんでのもんだいにせっきょくてきにきょうりょくするようもとめた。すでにかんこくぐんほりょとリサンかぞくだい1せだいは70〜80だいになったとし、そうしたひとたちがわかれたかぞくとじゆうにおうらいしゆめにみたこきょうにもどれるよう、せいふはねついとせいいをつくすときょうちょうした。
りだいとうりょうは、なんぼくはまごころとごけいをもって「せんげんのじだい」をこえ「じっせんのじだい」にすすむべきだとし、なんぼくがしんにわかいしきょうりょくしながら、ちょうせんはんとうのへいわときょうどうはんえい、とういつにむけりょくをいれるときだとしゅちょうした。なんぼくはこれまでたいわとこうりゅうきょうりょくをつづけ、まんぞくいくすいじゅんではなくともそうとうのしんてんがあったとのかんがえをしめし、「わたしはきたちょうせんがひかくかにむけこくさいしゃかいときょうりょくすることをこうていてきにひょうかする。げんざいしんこうちゅうまたはこんごすいしんするこうりゅうときょうりょくじぎょうにおいて、なんぼくかんのしんし(しんし)なたいわがひつようだ」とうったえた。
こうしたはつげんは、かんこくぐんほりょもんだいなどじんどうてきもんだいにたいするきたちょうせんのにんしきてんかんをもとめ、しんせいけんほっそくいらい、ちゅうだんしているなんぼくかんたいわのひつようせいをかさねてていきしたものとぶんせきされる。
またりだいとうりょうは、じゅんこくさきれつとこっかゆうこうしゃのこうけんをたたえそんけいすることはくにのじゅうようなせきむだとし、せいふはそのぎせいとくつうをわすれないときょうちょうした。ちょうせんせんそうせんししゃいこつはっくつじぎょうもかっせいかするかんがえをしめし、くにのためにぎせいとなったひとびとはくにがせきにんをおうというこっかむげんせきにんいしをかならずじっせんするとちかった。
りだいとうりょうは、かんこくのきん・げんだいしは、かずおおくのぎゃっきょうとざせつのなかでもたえずちょうせんをつづけ、いたみとせんそうのさんじょうをのりこえせかい10いけんないのけいざいたいこくをつくるとともに、みんしゅしゅぎをねつかせせいじゅくさせた「きぼうのれきし」だったとし、こんごはみなで、せんしんいちりゅうこっかにむけた「せいこうのれきし」をつくっていこうとよびかけた。
りだいとうりょう、フィンランドしゅしょうとITきょうりょくなどきょうぎ「30かげついじょうのぎゅうにくゆにゅうちゅうだんはとうぜん」りだいとうりょうりだいとうりょう、パラグアイのルゴじきだいとうりょうとかいだんりだいとうりょうしじりつ20ぱーせんとはじめにきゅうらく、ぎゅうにくもんだいでだげきりだいとうりょう「とうろん・せろんききみんしんしゅうしゅうあんていじする」