【ソウル19にちれんごう】りあきひろ(イ・ミョンバク)だいとうりょうは19にちにとくべつきしゃかいけんをおこない、べいこくさんぎゅうにくもんだいにかんれんし「いくらきゅうをようするこっかてきけんあんだとしてもこくみんがけっかをどのようにうけとめるか、なにをのぞんでいるのかをよくみるべきだったということを、わたしとせいふはつうせつにはんせいしている」としゃざいした。
しょくたくのあんぜんにたいするこくみんのようきゅうをちゅういぶかくくみとることができず、じしんよりもこどものけんこうをしんぱいするははおやのきもちをさっすることができなかったとじせいした。ひかりかもんいったいでキャンドルしゅうかいがおこなわれた6つき10にちにはせいがだい(だいとうりょうふ)のうらやまからキャンドルのあかりをみていたとあかし「まっくらなやまのちゅうふくに1にんすわりしがいちをうめつくすキャンドルのぎょうれつをみながら、こくみんにへいあんをあたえることのできないじぶんをじせきした」とのべた。
りだいとうりょうは、さいしょのあいさつにたいするこくみんのきびしいしてきをけんきょにうけとめ、こくみんのめせんにおよばないことがないようじんせんにさいぜんをつくすとした。こくみんとそつうしながらこくみんとともにすすみはんたいいけんにみみをかたむけるとのべ、せいがだいひしょじんをおおはばにかいへん、ないかくもかいへんするときょうちょうした。だいとうりょうせんきょでこうやくにかかげただいうんがじぎょうについても、こくみんがはんたいするならばすいしんしないとめいげんした。
ぎゅうにくもんだいで、べいこくと「さいこうしょう」ではなく「ついかこうしょう」をおこなうにいたったかていをしょうさいにせつめいしたうえで、こくみんがのぞまないかぎりげつれい30かげついじょうのべいこくさんぎゅうにくがかんこくのしょくたくにのぼることがけっしてないようにするとやくそくした。べいせいふからほしょうをうけるときょうちょうし「べいこくもどうめいこくであるかんこくみんのかんがえをそんちょうするものときたいしている」とのべた。
こうえいきぎょうのせんしんか、きせいかいかく、きょういくせいどのかいぜんなどせんしんこくへのちょうやくにむけふかけつなことはてっていしたじゅんびのうえでとどこおりなくすいしんしていくとした。また、けいざいじょうきょうがわるくなればもっともくつうをうけるのはしょみんだとしてきし、ぶっかのあんていとしょみんのみんせいにちゅういをはかることをこくせいのさいユウセンにするとしてぶんぱいとふくしせいさくじゅうしのほうしんをしめした。ぜんこくみんしゅろうどうくみあいそうれんめい(みんしゅろうそう)とぜんこくうんそうさんぎょうろうそかもつれんたいのストライキにかんしては、ちょうきかしけいざいにけっていてきなだげきをあたえることがあれば、そのひがいはろうどうしゃをふくむぜんこくみんにむかうことになるとしてきし「いまはきぎょうもせいふもろうどうしゃも、みながいちほずつじょうほしてくつうをわかちあうべきときだ」としゅちょうした。
りだいとうりょうはさいごに「かならずけいざいをさいせいする」とつよくのべ、こくないがいきぎょうがあんしんしてとうしできるかんきょうをつくり、りょうしつのこようをおおくそうしゅつするとやくそくした。これからはあらたにはじめるじかんとして、おそれをもってけんきょにふたたびこくみんのみなさんにあゆみよりたいとちかった。
りだいとうりょうきょうたいこくみんだんわはっぴょう、ぎゅうにくもんだいたちばをめいじりだいとうりょうがあすにもだんわはっぴょう、かんべいこうしょうないようをせつめいりだいとうりょう「ふそくはあるがぎょうせいどりょくをつづけるべき」