42ねんぶりにきこくしたインドネシアざんりゅうほうじんさいこうれいのたなかみゆきねんさん(100)が30にち、とうきょうとおおたくのほうせんじにねむるりょうしんのはかまいりをした。つめたいあきさめがふるなか、ぼぜんで10ふんあまりもてをあわせ、「ただいまかえりました。ぶじにいきてげんきでいます」とこころのなかでちちははにほうこくした。たなかさんはりょうしんのはかまいりのため、29にちにいちじきこく。このひはスーツにマフラー、けいとのぼうしすがたで、ちかくのホテルからくるまいすでてらをおとずれた。10つきじょうじゅんまでのたいにちちゅう、まいあさ、はかまいりするという。
たなかさんは1907(めいじ40)ねん、ほっかいどうはこだてしうまれ。21さいのとき、オランダとうちかのジャワトウにほんしゃがあったぼうえきしょうしゃににゅうしゃし、ちゅうざいいんとなった。
はいせんご、そこくへのおもいはあったが、43ねんにけっこんしたげんちじょせいとのまにこどももいて、「40さいにちかいわたしがやけのはらのにっぽんでなにのやくにたつのか」とざんりゅうをけついした。オランダからのどくりつせんそうでは、にゅうたいをこばんだが、こうほうしえんぶたいにいれられ、みつりんのなかでうえにくるしめられたあげく、はいけっかくをわずらった。はいせんじ、1000にんいじょうのにっぽんへいがざんりゅうしたが、たいはんはこのせんそうでなくなった。
たなかさんはげんざい、アブドゥル・ロシドというインドネシアめいももち、ジャワトウでさんそうをけいえい。3なん5じょと20にんいじょうのまごがいる。
66ねんにいちじきこくしてじっかによったが、ねたきりのははにかけることばがでなかった。そのご、りょうしんはなくなった。こんかい、つきそっているごじょのりょうこさん(44)によると、100さいになったさくねん10つきいこう、「にっぽんではかまいりし、きこくしなかったことをりょうしんにわびたい」とたびたび、くちにするようになったという。【おもしだけし】